パキシー・サイロ
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パキシー・サイロは、ヤヴィンの戦いの31年前、グリゲンとタシュナ夫妻の末っ子としてダントゥイーンで生まれた少年である。彼の一家は10世代にわたってダントゥイーンに広大な農場を所有していた。
経歴
パキシー・サイロの家族は、10世代にわたってダントゥイーンの奥地で広大な農場を経営していた農業一家である。彼の両親、グリゲンとタシュナ・サイロは、この辺境の惑星でトリタックルとヨット豆を収穫するために懸命に働いており、7人の子供たちを養いながら、収穫した作物を外界へも輸出するため、食糧貯蔵庫を満たしていた。
家族の中でも末っ子のパキシーは空想家だった。物静かで穏やかなしゃべり方をするこの少年は、遠くの惑星を冒険する英雄たちの物語について夢を膨らませながら、いつも黙ってデータパッドや予備のフリムジプラストに落書きを行っていたのだ。彼はジェダイ・ナイトの物語についても断片的に聞いたことがあり、彼らがクローン大戦と呼ばれる勇壮な戦いの最中にあることも知っていた。しかし、ダントゥイーンはこれらの物語が作り話だと思えるほどに銀河系の中心から遠く離れていたのである。
しかし、パキシーは9歳のとき、これまでの人生を一変させる運命の日を迎えることになる。独立星系連合はムーニリンスト近郊の防衛を強化するべく、ダントゥイーンにその足がかりを求めていた。一方で、それに対するジェダイも彼らの誇る最強の戦士の1人、メイス・ウィンドゥを派遣し、彼の指揮するクローン軍を連合軍に対抗させたのだった。
パキシーは、ウィンドゥとその軍勢が分離主義勢力を打ち破る光景を、畏敬の念を持って見守っていた。彼はまさしく呪縛に絡まれた状態となり、その後の数週間におけるデータパッドの落書きは、単身でサイズミック・タンクを破壊したメイス・ウィンドゥのありのままの姿で埋め尽くされることになる。事実、この少年に話せることは、それがすべてだったのだ。
パキシー・サイロのその後については、歴史に一切記録されていない。銀河帝国の時代には、既にサイロ家の農場も完全に放棄され、無人となっていたのである。しかし、パルパティーン皇帝による新秩序が絶頂期を迎えたとき、ホロネットの闇の部分で、1本の密造されたホログラム・ビデオが広められていた。これこそは、20年前のダントゥイーンにおけるメイス・ウィンドゥの英雄的活躍を描写したドキュメンタリーだったのである。
帝国保安局はこのような有害なメディアの拡散を防ぐために策を講じたが、このビデオは自称反逆者たちの間である種のカルト的な崇拝の対象となっていた。結局、このホロビデオは作者不詳のまま闇に葬られることになる。その内容が若きパキシー・サイロの描いた初期の実例とまったく同じだったことは、誰にも知られていない。