マンダ
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解説
惑星マンダは、マンダ星系の主系列星マンダ・プライムを巡る惑星である。この惑星はスライスの座標R-15、銀河系のミッド・リムにおけるアウター・リム・テリトリーとの境界近くに位置している。新シス大戦の終結時、マンダはハット・スペースの境界付近に位置していたことがあり、銀河共和国の末期においてもほぼ同じ位置を保っていた。またヤヴィンの戦いの直後には、マンダは同名のセクターの一部だった。さらにマンダは、ミッド・リムの惑星ボサウイ、アウター・リムの惑星モレイヴァー、マンダと隣接する惑星ボランダとデナスカーを結ぶハイパーレーン、マンダ商業ルートの上にあり、惑星ルーンへ向かう唯一の信頼できるハイパースペース・ルート、マンダ=ルーン商業ルートの出発点でもあった。
歴史
マンダを囲む宙域が探索されたのは、ヤヴィンの戦いのおよそ20,000~15,000年前のことである。同じく17,000~12,000年前までの間のあるとき、マンダは銀河共和国に加盟した。そしてヤヴィンの戦いの11,198年前、この惑星は第23次ピウス・デイ聖戦の犠牲となったのである。
ヤヴィンの戦いの3,996年前、グレート・シス大戦の最後の年、シス帝国がボサウイでの勝利に続き、この惑星で共和国軍と交戦した。シスはマンダで勝利を収め、惑星レリターへ移動することになる。
マンダロリアン大戦の間には、マンダ近郊での軍事行動は一度も行われなかった。だが、ジェダイ内乱の後、ダース・レヴァンのシス帝国に対する共和国の軍事行動の中で、共和国軍がレイターから惑星コスリスへ向かう途中にマンダを通過している。
ヤヴィンの戦いの1,004~1,000年前までの間、マンダはシス・スペースの一部だった。この宙域は新シス大戦で共和国と戦ったシスの軍隊、闇の門弟たちによって支配されていたのである。
ヤヴィンの戦いの520年以上前のあるとき、この惑星にバオバブ公文書館が設立され、同年にアーレットファント男爵の箱舟も公文書館に加わった。銀河の20の謎の1つに数えられるこの伝説の船は、およそ1万年にわたって宇宙をさまよっていたのである。
そして数百年後、アナキン・スカイウォーカーがジェダイ・ナイト・オビ=ワン・ケノービの弟子だったとき、ケノービはマンダ宇宙港からサカーパス・メジャーの太陽へ向かうためにパイロットを雇った。
そして銀河帝国が銀河全体を支配していたとき、クリックス・Q5・バオバブはバオバブ商業マリーン・アカデミーで商業船団の若き航法士たちに教えを説いたのだった。
住人
ヤヴィンの戦いのおよそ25年後におけるマンダの人口は、10~100億人ほどである。
この惑星は裕福な商人たちのグループ、バオバブ家の故郷だった。バオバブ商業船団は多くの種族を雇っており、船団内における種族間コミュニケーションには主にボッチェ語が使用されていた。また、バオバブ商業評議会もマンダで開催されていた。
この惑星の著名な住人は、イブン・Q3・バオバブ、プーキー・バオバブ、マンゴ・バオバブ、オジェム ”オールド・オガー” バオバブ、イペリオ・バオバブなどである。