ハースト・ロモディ
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ハースト・ロモディは、銀河共和国のグランド・アーミーの大佐、および後の銀河帝国の帝国地上軍の将軍である。
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経歴
共和国での軍役
惑星マタコーン出身のハースト・ロモディは、ラムダ・セクターの惑星保安部隊に入隊し、アクアリッシュの成り上がり者たちによる反乱の際に名声を得た。そして銀河共和国と独立星系連合が戦争を開始したとき、彼は共和国グランド・アーミーに加わり、クローン大戦における最初の非クローンの指揮官の1人となる。その後、ロモディはペルドン・マイナーの戦いやタラサーリ・ジャンクションの戦いにおける勝利によって、英雄としての地位を確固たるものとしたのだった。彼は3年におよぶクローン大戦を生き延び、ジェダイ・オーダーと共和国の崩壊を目の当たりにしたのである。
帝国地上軍
共和国グランド・アーミーが銀河帝国の帝国地上軍へと再編されると、ロモディは将軍へと昇格し、テリナルド・スクリード提督と共にクローン大戦後の混乱期に未だ活動を続けていた残存分離主義勢力の掃討任務を行った。この一連の反乱によって、カンズ・セクター、トラガン星団、キュートリック・セクター、ニジューン・セクター、スプリズン・セクター、クエライ・セクターなどで、後にキュートリック攻撃と呼ばれる戦闘が勃発したが、ロモディとスクリードはそのすべてを鎮圧したのである。帝国地上軍全体で、一部の部隊における団結力に疑問が示されていたが、ヴィンソスやヴァードスにおけるロモディとスクリードのチームワークは称賛を浴び、メディアは彼らを新秩序の成功例として称賛したのだった。
その後、ロモディは2年にわたって実戦を離れ、帝国が成長と拡大を続ける間、コルサントで生活していた。そしてヤヴィンの戦いの17年前、ロモディはグランド・モフ・ウィルハフ・ターキンの指揮のもと、ウエスタン・リーチェス作戦へと派遣される。独自のリーダーシップ・スタイルを持つロモディは、フローティング・フォートレスで戦場のいたるところを動き回り、オープン・ハッチからすべての戦闘を指揮したのだった。ケルロードー=アイの戦い後、彼はオード・ヴォーグでさらなる成功を収め、ホロネットを通じて英雄と称された。だが、ロモディはその名声に反してひたむきで厳格なリーダーであり続け、帝国のために戦闘で勝利することに命を賭けていたのである。そして数年後、砲弾の爆発によって聴力を失った彼は、鼓膜を人工器官に置き換えることを余儀なくされたのだった。
ブリンダーでの作戦の間、アーフル・ホルト提督と共に戦っていたロモディは、イスカ海賊団による奇襲を受け、炸裂弾の爆発によって重傷を負ってしまった。顔、腕、胸に大きな傷を負ったロモディはバクタ・タンクに収容されたが、彼はその中から敵が敗走するまで戦いの指揮を執り続けたのである。その後、彼は傷の手当てのため急いでコルサントに帰還したが、顔面に大きな傷痕が残ってしまい、もはや外科手術によって元の顔に戻すことはできない状態だった。完全に破損した両目は人工の義眼に置き換えられ、瞬きを失った彼の目は多くの仲間たちを驚かせたのだった。
ラムダ・セクター
戦場での悲惨な傷に苦しんだ後、実戦任務から引退したロモディはラムダ・セクターの元老院議員となり、コルサントの帝国元老院で活躍するようになった。元老院ビルでの論争において、彼は軍事費の増強を強く訴え、パルパティーン皇帝の最も熱心な支持者の1人となったのである。だが、ロモディが強い意思を持って帝国を支持する一方で、同僚議員や補佐たちは、彼が帝国に仕える間に、実は肉体的な傷以上の苦しみを味わっていることに気付き始めていた。激しい夜驚症に悩まされ、元老院での役割に集中することの難しさを嘆いていたロモディは、たった1期での引退を強いられたのである。
徐々に正気を失っていったにも関わらず、ロモディはグランド・モフ・ターキンからデス・スターと呼ばれる帝国軍宇宙ステーションのバトル・ステーション作戦主任の地位を与えられた。反乱同盟軍の脅威を無視していた彼は、そこでカシオ・タッグ将軍としばしば対立し、反乱軍の一団がデス・スターの設計図を盗んだ後も、ダース・ヴェイダーがその奪回に成功することを確信していたのだった。だが、ロモディは間違っていた。ヤヴィン4の上空で行われた戦いで、反乱同盟軍はデス・スターへの攻撃に成功し、その結果、ロモディ自身を含む搭乗していたすべての兵士がステーションと運命を共にしたのである。